大判例

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京都地方裁判所 昭和43年(ワ)1530号 判決 1971年2月25日

原告

松山尚樹こと

松山態造

代理人

前堀政幸

三木今二

大塚正民

復代理人

村田敏行

被告

鎌倉由雄

代理人

猪野愈

主文

被告は原告に対し、金六〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和四十三年十一月二十四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを一〇分し、その四を原告の負担、その余を被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、金一、〇〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和四十三年十一月二十四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、次のとおり述べた。

一  原告は、昭和四十二年九月二十八日午前零時三十分、当時旅宿中の石川県七尾市和倉町、和倉温泉を管轄する七尾警察署において、収賄の被疑事実で逮捕され、その後列車などにより衆人環視の中を京都府中立売警察署に護送され、同日午後六時ころから翌二十九日午後一時四十五分に釈放されるまで、司法警察員および検察官の収調を受けた。

二  右逮捕は、原告が昭和四十一年十月中旬ごろ金一五〇、〇〇〇円、翌十一月中旬ごろ五〇、〇〇〇円の賄賂を各収受した旨の被疑事実にかかるものであるが、その逮捕状は、被告が原告を陥れるため、右中立売警察署員に供述した虚偽の事実に基づき、昭和四十二年九月二十七日同警察署司法警察員のなした請求に対し、京都地方裁判所裁判官により発付されたものである。

三  原告が被告の右不法行為によつて蒙つた精神的損害に対する賠償額は一、〇〇〇、〇〇〇円を相当とする。

四  よつて、原告は被告に対し、右賠償金一、〇〇〇、〇〇〇円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四十三年十一月二十四日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求め、次のとおり述べた。

一  原告主張の請求原因事実のうち、原告が逮捕されたこと、および被告が虚偽の事実を捜査官に供述したことを認める。しかし、右供述が原告を陥れる目的でなされたとの事実を否認し、損害賠償額を争う。その余の事実を知らない。

二  なお、原告は、被告の右虚偽の供述は、原告を陥れる目的でなされたと主張するが、それは捜査官の長時間にわたる暗示誘導による結果であり、被告には原告主張のような意図は全くなかつた。すなわち、被告は昭和四十二年九月二十七日午前九時三十分ごろ前記中立売警察署に任意出頭を求められ、捜査官より、原告はすでに逮捕され、自白している旨告げて追求を受け、以後被告の否認にもかかわらず、昼食さえとらせられないで、長時間同じことを反覆誘導され、精神的疲労も加わつて、著しく頭脳混乱し、ついに捜査官の意図を受け入れ、虚偽の供述をなすことを余儀なくされる結果となつたのである。

三  また、賠償額については、被告は右供述当時、捜査官の言を信じ、原告はすでに逮捕されているとのみ思つていたのであるから、原告が旅宿先で深夜逮捕され、列車などにより衆人環視の中を護送されたとの事情は、被告の予見可能の範囲外のこととして、右賠償額算定の根拠とはなり得ず、他方原告は昭和二十九年収賄罪で取調を受け、昭和四十年罰金刑に処せられ、本件当時にも他に同種事犯を疑わしめるに足りる事情にあり、結局別件の収賄罪で起訴されたのであるが、これらの事情は右賠償額の算定にあたり考慮されてしかるべきであるから、原告の主張する額は過大である。

証拠<略>

理由

一先ず、原告および被告の経歴について見るに、<証拠>を総合すると、原告は肩書地に生れ、尋常高等小学校卒業後、農業のかたわら、終戦前は地元青年団々長、食糧調整委員、太秦農業会々計担当、終戦後は京都市農業協同組合太秦支部長兼同組合常務理事、副会長、京都府農業会議々員、農業委員会関係については、昭和二十四年右京区農地委員会委員、同二十六年右京区農業委員会委員、後に会長を歴任し、本件逮捕当時は、右京区農業委員会々長、右京区農業団体連絡協議会々長、京都市農業協同組合常務理事兼太秦支部長の職にあつたこと、被告は昭和二十五年京都市吏員となり、同三十五年管財局財産管理課、同四十一年経済局工業試験場の各勤務につき、その後本件農地転用収賄被疑事件がもとで退職したこと、原告と被告は昭和三十七、八年ごろ各自の職務を通じて交渉があり、以後面識の間柄となつたことを認めることができ、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

二次に、本件農地転用の経緯を見るに、<証拠>を総合すると、被告は昭和四十一年九月ごろ、知り合いの訴外北尾清を通じ、訴外石田太一が京都市右京区嵯峨野芝ノ町二三番地、田五一坪、同所三五番地の二、田二八三坪、同市同区梅津林口町、畑一二九坪を建売住宅業者の訴外和田一男に売渡すにつき、右田および畑の地目を宅地に変更するのに尽力を求められ、かねて面識があり、かつ右土地を管轄する右京区農業委員会々長として実力第一人者といわれている原告に依頼して便宜の扱いを得たいと考え、とりあえず、原告をその自宅に訪ねて事前協議の手続をとつてもらえることを確かめたうえ、転用許可を受ける便宜上、右土地のうち田を被告、畑を訴外和田一男の雇人を各買主として仮契約を締結させ、訴外北尾清を介し、訴外石田太一から運動費二〇〇、〇〇〇円のほか、原告に対する謝礼として、同年十月はじめごろ一五〇、〇〇〇円を受取り、同月中旬ごろ菓子折を携えて再度原告をその自宅に訪れ、重ねて懇請し、直ぐその足で原告と連れ立つて右京区農業委員会事務局へ向う途中、「お礼もせんならんし……。」と、右一五〇、〇〇〇円在中の上衣内ポケットに手を入れかけると、原告より、「いらん。お前のことだから……。」と止められたこと、その後被告が買主名義になつていない右畑の地目変更については、原告の特別の計らいを特に求めなければ許可を得ることが困難であろうと考え、同年十一月はじめごろ前同様訴外石田太一から五〇、〇〇〇円の追加金を受取り、これを前記一五〇、〇〇〇円と合わせて携行し、幾度か右事務局に原告を訪ねた際、謝礼として手渡そうとしたが、その都度人目があつて機会を得ず、「いずれお礼に来ます。」と述べ、右転用許可が全部下り次第あらためて右現金二〇〇、〇〇〇円を手渡すこととし、また、もし同人に受け取つてもらえないときは自分のものとしてもよいと考え、以後自分で保管していたこと、を認めることができ、<証拠>中右認定に反する部分は信用できないし、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

三さらに進んで、被告が捜査官に対し、虚偽の供述をしたことは当事者間に争いがなく、被告が右供述をなすに至つた経過について見てみるに、<証拠>を総合すると、被告は、昭和四十二年九月二十七日午前九時三十分ごろ、中立売警察署員の迎えにより、勤務先の工業試験場から同警察署に出頭を求められ、同日午前十時ごろから取調室において、被告が、前記農地転用につき便宜の扱いを受けた謝礼として、前記北尾進を介して石田太一から預つた現金二〇〇、〇〇〇円を原告に渡した、との被疑事実について取調を受け、はじめは事実を述べ、右被疑事実を否認し続けていたのであるが、「調べは、すでについている。隠しても駄目だ。なぜ自供しないのか。」と、執拗かつ厳しい追求を受け、被告としては、このようなことは全くはじめての経験であり、午前中からの取調で、午後はすつかり精神的に参つてしまい、実際にも、原告に供与すべき賄賂を預つていることで兢々としていた折であつたところから、全く心くじけ、捜査官から原告の収賄事件の捜査一覧表を見せられていたことなどもあつて、当然刑事上その他の不利益が原告に及ぶであろうことを認識し、かつこれを容認していたのではあつたが、とりあえず、当面の厳しい追求を逃れることを急ぐ余り、取調の意図するところに迎合する気持になり、前記農地転用につき、便宜の扱いを受けた謝礼として、昭和四十一年十月中旬ごろ現金一五〇、〇〇〇円、翌十一月中旬ごろ現金五〇、〇〇〇円を原告に手渡した旨虚偽の自供をし、同日午後五時過ごろ右自供調書を取り終えたところ、案に相違して、被告は直ちに贈賄の被疑事実により逮捕され、そのまま同警察署の留置場に留置されることとなり、その後次第に気持が落着くにしたがい、最前の虚偽の自供調書のことが心配になつて、居たたまれなくなり、同日夜看守に対し、「先程の調書のことで重大な言い間違いがあるから、村岡警部を呼んでもらいたい。」と頼んだが、「明日でよいではないか。」と取り合つてもらえず、翌二十八日午前中の取調において、右虚偽の自供を撤回したことを認めることができ、<証拠>中右認定に反する部分は信用できず、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

四そこで、本件逮捕状発布の資料とされたものについて見てみるに、<証拠>を総合すると、原告に対する本件逮捕状の請求および発布につき、被告の司法警察員に対する虚偽の供述を録取した調書(甲第三号証)が決定的な証拠となつたことを認めることができ、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

五最後に、右逮捕状による原告逮捕の事実は当事者間に争いないところであり、逮捕状の執行から釈放に至るまでの経過を見てみるに、右逮捕の当時、原告は石川県七尾市和倉町、和倉温泉に神経痛と痔の湯治のため滞在二日目の昭和四十二年九月二十七日夜半、七尾警察署まで同署員に連行され、翌二十八日午前零時三十分逮捕されて同警察署の留置場に留置され、夜明けとともに、京都府中立売警察署員に手錠を掛けられて二等汽車で護送され、同日午後五時四十五分同署に引致され、種々取調を受けた後、同月三十日午後三時ごろ釈放されたが、直ちに別件収賄被疑事実により再度逮補され、同事実については、その後起訴され、現在京都地方裁判所において公判審理中であること、本件逮捕の事実は、手錠を掛けられた原告の写真とともに広く報道されたことを認めることができ、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。なお、これらの事実のほか、右証拠によれば、原告は農業委員会における同僚より辞職勧告決議をつきつけられたり、一般人の中からも同趣旨の勧告をする者が現れたり、当時警察官であつた実弟が勤めづらくなつたこと、が認められるが、一方、本件逮捕当時原告の別件収賄被疑事件の捜査が並行して進行中であり、この被疑事実に基づき、本件逮捕の身柄釈放後引き続き再逮捕が行われ、後にこれが起訴された事実に照らし、本件逮捕との間の相当因果関係を認めることには甚だ躊躇を感ぜざるを得ず、本件全証拠によるも右因果関係を認めるに足りない。また、本件の場合、被告の認識は、自己の虚偽の供述により、原告が刑事上その他の不利益を受けるおそれがあることをもつて足り、さらに具体的詳細に原告の逮捕・護送に関する事情にまで及ぶ必要はないと考える。

六以上のような次第であるから、被告は原告に対し、その精神的損害に対する賠償をすべき義務を有するところ、その額については、なるほど、被告の捜査官に対する虚偽の供述が本件逮捕の決定的証拠となつたことには相違ないが、右供述は、原告を陥れるためなど、被告の積極的悪意によるものはなく、被疑者の立場にあつた被告の人間的弱さに基づく異常心理に起因するものであり、それはそれとして非難に値すること勿論であるけれども、同時にそれは捜査における重大な過誤である点を看過することは許されず、したがって、本件誤逮捕につき、ひとり被告のみを責めるのは酷に過ぎるといわねばならないこと、その他本件弁論に現われた諸般の事情を考慮して、金六〇〇、〇〇〇円が相当であると認められる。

七よつて、原告の被告に対する本訴請求は、金六〇〇、〇〇〇円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四十三年十一月二十日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の範囲内で理由があるが、その余の部分は理由がないので、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、仮執行宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。(上野利隆)

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